「頑張れば出来る」は日本の風土病である [散文詩]
その兄への反発だったのか、僕はずっと優等生だった。学級委員長などのポストをあてがわれ、先生からはリーダーシップをとる役を期待された。そして、いつのころだったか、それから逃げ出してしまったのだ。とは言っても兄のように「ヤンキー」ぶるのではなく、表面上は真面目なふりをしつつ。
大学の時、ある友人に同人誌に参加しないか、と誘われた。彼の某国立大学付属中時代の友人たちと作っていると言う。地区の優等生たちの学校だ。会合に行ってみると、案の定、「脱落した」優等生たちの集まりだった。「頑張る良い子」に嫌気がさし、かといって尾崎なにがしのように声高に叫ぶでも無く、そこそこに勉強し、そこそこに大学に入った連中だ。
代表の中野は、県下随一の進学校に受かる学力を持ちながら、当時新設されたばかりの高校を選び、そこから現役で東大に受かったという猛者である。中学の時、「優等生」であることに疑問を持ち、その反感の彼なりの表現法が新設校から東大に現役で合格することだったのだ。その彼は、しきりに「勉強して夏目漱石みたいな小説が書けるなら、オレは明日にでも夏目になりたいよ」とぼやいていた。傲慢かもしれないが、それは彼なりの必死の叫びだったのだと思う。そういう中途半端なデカダンが僕らを結びつけていた。
誘ってくれた松本は高校で一緒にバンドをやっていた友達である。「優等生」に反発しつつも、「ヤンキー」になるセンスも持ち合わせていなかった僕らの出会いは必然だったと思う。表面上はごくごく真面目にしつつも、周りに対する反感を密かに募らせていた、そういう僕らの救いになっていたのはロックだった思う。
「高校時代ロックバンドをやっていた」、と言うと「女の子にもてたでしょ」と言われるが、僕らのロックはそんな上等な代物ではなかった。BOOWYとかのコピーバンドならいざ知らず、ローザルクセンブルグとかのコピーをしていたので、周りからは少々奇人扱いをされていた。
松本は大学を卒業し、NHKに入った。最近連絡を取っていないが、今でも番組製作に携わっていると思う。「ずっと現場にいたいので出世はしたくない。有名にならなくて良いから、平凡な作品で良いから、ずっと何かを作っていたい」と言っていた。妙にやる気の無いデカダン感覚は変わらない。そういう彼でも「実はさ、そこそこに才能があるのは自覚しているんだ」と言う。「でも、自分が決して天才じゃないことも分かってるんだよ」とも言う。彼のこの正直さを尊敬している。幸せに生きるのには、天才である必要はこれっぽっちも無いのだから。
la Mort [散文詩]
2003年4月、南仏にて恩師小田桐の訃報を知る。公私ともに僕の支えだった。享年54歳。心の一部を削られるような感覚に襲われ、その後いつまでも悲しみを引きずる。人は50代で死んではいけない。自分自身のためにも、そして他人のためにだってまだまだ働き続けなければならない。
今、50代の友人が癌だと言う。もしかしたら死ぬかも知れない、と。「でも、まだ僕の人生終わったとも思わないし、まだまだやることたくさんあるからね」と電話先で明るく笑う。もちろん、彼に死んでもらっては困る。一緒に準備している企画があるのだ。
でも、最悪のケース、つまり彼が死んだ時のことを考えている僕がいる。残されたものが彼の仕事を引き継がなければならないからだ。
だが、実際、僕は、その時、どのくらい悲しむのだろうか?
阿部先生が逝った時も、祖母が逝った時も、小田桐の時ほど悲しめはしなかった。年寄りなのだから仕方がないと半ば諦めていたように思う。
そうなって、悲しめなかったらどうしよう、彼に申し訳ない、とそんな馬鹿なことを考えている。
このような思考はとても危険だ。何故なら、いっそのこと、彼より早く僕が先に死んでしまえば、という思いが頭をもたげてくるから。
自殺などする勇気も持たぬ臆病者が、ふと、死を夢想する晩に、書く。
幸せ [散文詩]
僕等は憎しみを食べて生きている
奴等を目の前から消したくて
食べて食べて食べ尽くした
星がしずくになるとき
奴等が体の中から溢れ出す
やがて排泄物の山となって
幸せがそこにたかるだろう
僕等は悲しみを吸って生きている
奴等を目の前から消したくて
吸って吸って吸い尽くした
星がしずくになるとき
奴等が体の中から流れ出す
やがて排泄物の川となって
幸せがそこにたかるだろう
因果応報 [散文詩]
因果応報なんて嘘っぱちさ
悪いことをしてるからと言って
いずれ罰を受けるわけでもなければ
努力をしているからと言って
いずれ報いられるわけでもない
じゃぁ、なんでそんなにしゃかりきに
なって頑張っているかって?
決まってるじゃないか、
止まっていると、不安で、怖くて
仕方がないから、走り続けるしかないのさ
現代っ子 [散文詩]
僕のことを哀れまないでおくれよ
僕にとっては今が当たり前の生活
不幸かどうかもわからないのさ
だからそっとしておいておくれよ
万が一自分が幸せじゃないとしたら
あまりにも僕がかわいそうじゃないか
だからといって僕のことを哀れまないでおくれよ
こういうぎりぎりの瞬間に幸福を感じるんだから
6月 [散文詩]
風が吹いている。湿った風だ。
幼い頃、この季節があまり好きではなかった。せっかくの誕生月なのに外で遊べない、という単純な理由だった。実際、じとじとと小雨の続くこの季節、一体、誰が好きなものか。
満開の紫陽花が、ひたすら、雨に打たれている、そんな光景を美しいと思い始めたのはだいたい何時の頃からだったのだろう。そんな僕は確実に梅雨を嫌いではなくなっていた。
新学期の緊張感はとうに消え失せ、凡庸さが支配する日々、雑務がたてこみ、溜まってくる疲れが意識上に浮き彫りにされる季節、それでも僕は梅雨が嫌いになれない。
盛夏を前にして、都会の木々が新緑を吹き出そうと、身構えている季節でもある。霧雨くらいなら、むしろ、傘をささずに街を歩きたい。植物達のように、大気から水分を十分補給するべく。ただし、霧雨は、意外と、濡れる。
この時期は、多少の無理をしても何とか乗り切れる。不思議と前向きな季節だ。
そして夏が来る。それまでの細かい雨とは打って変わって、大粒の雨、雷鳴、夕立!夏が来るのだ。
重なる疲労で、吐き出しそうに、夏が来るのだ。