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Festival Fisel 2009にて [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

 ジャン=フィリップに引かれて、フランスはブルターニュRostrenen市のFestival Fisel2009に行って来た。音楽と踊りのフェスティヴァルである。フランス語で「ハサミ」と呼ばれるダンスで名が知られている。

 http://www.fiselblog.org/


 踊りは伝統的なものだが、音楽の方は伝統的なものから、伝統に基づきアレンジした現代的なものまで多岐に渡っている。正直、そのレベルの高さは国際クラスである。

 

 ここで、僕はサブカルチャーとハイカルチャーの問題について考えてしまった。

 

 僕らが大学生だった頃、ワールド・ミュージックが流行って、世界中のいろいろな民族(=伝統)音楽が紹介された。盛り上がる僕に、一緒にバンドをやっていた松本という友人はこう言った。

 

「フランスのMalicorneが素晴らしいのは認めるよ。でも、民族音楽って言ったってさ、田舎のジッチャン、バッチャンが歌っている民謡程度のものだって多いわけだろ。そりゃあ、独特な音階とか使っているから、一見刺激的だけど、本当に素晴らしいものかどうかは良く見極めなければいけないんじゃないの?」

 

 少々言葉は乱暴だが、彼の言っていることは正しい。伝統的な技芸がすべて素晴らしいわけではなく、それが芸術として洗練されるためには、ヒマとカネがある程度費やされなければならないということだ。これを単純な二項対立に整理するとサブカルチャー=田舎臭い技芸とハイカルチャー=洗練された芸術ということになる。単純な言い方をすれば、歴史的に長い間、このハイカルチャーの殆どがヒマとカネを持て余している支配階級の専有物であったということになる。

 

 まぁ、アドルノなんて人は資本主義によってハイカルチャーがサブカルチャーに堕落していることを嘆いた人なわけだが、事態はそんなに単純ではない。何故なら、例えば、今の日本の漫画やアニメなど、洗練されたサブカルチャーというのもあるからである。モダン文明が到来し、多くの人がヒマとカネを持てるようになり、それに合わせてカルチャーのあり方も変容したということだ。

 

 で、ブルターニュの音楽とダンスだが、もともとは正真正銘のサブカルチャーである。何よりブルターニュの民衆が祭の時に踊っていたダンスとそれのための音楽だからである。

 

 だから、本来のブルターニュ音楽は単調である。基本的には同じリズムで決まったメロディを延々と繰り返していく。あくまでも主役は踊りなわけで、音楽はそれの伴奏にすぎない。複雑な演奏をしてステップが乱すことがあってはならないのだ。正直、音楽だけを録音してそれを聞いても、単調すぎてつまらないと感じる人も多いだろう。あくまでも踊りと合わせて聞くものだし、更には実際に踊ってみて始めてその面白さが実感できるのだ。

 

 というわけで、ブルターニュの歌とダンスは明らかにサブカルチャー=民衆文化にその起源を持つわけであるが、今もなおサブカルチャーのままであり続けているかというとそうではない。このFestivalFisel2009年現在で37回目ということだが、ということは40年ほど前に伝統文化を素材としてフェスティヴァルを立ち上げようという動きがあったということになる。つまりカルチャーを土着の状態から切り離し、舞台に上げ、ヒマとカネをかけて洗練させようという努力があったということだ。

 

 更に、このフェスティヴァルは、決して過去の伝統文化を保存しているだけではなく、そうような伝統的な音楽に基づき現代楽曲にアレンジした音楽も盛んに演奏されていた。ジャズ風なアレンジ、現代音楽の試み、世界の他の地域の民族音楽との融合など、それはまさに世界でもトップクラスの面白さである。

 

 彼の地では、サブカルチャーでもあり、ハイカルチャーでもあり、そんな至福の時が流れていた。そして、こんなことが日本にもあったらよいな、と思った。

 

 かつて「ヨーロッパはキリスト教があるからハイカルチャーが成り立つけど、日本にはサブカルチャーしかないから」と言った国文学専門の友人がいた。これは間違いである。例えば、現在ハイカルチャーの典型例と見なされる西洋のクラシック音楽でさえ、祭り上げられヘゲモニーを確立するのは19世紀以降のことなのだし、また、庶民を完全に無視して玄人である上流武士のためだけにヒマとカネをつぎ込まれ洗練されていった日本の能以上にハイカルチャーな芸術は世界的に見てもまず無いと言って良いだろう。

 

 芸術と現代生活、そんなことを考えた。特に、日本における芸術のあり方について考えた。そして日本においてもこのようなフェスティヴァルが出来たら、と。


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yokonozo

ハイカルチャーが成立する理由がキリスト教の存在だとは思えませんね。
おっしゃるとおり、日本にだってハイカルチャーはあります。
世界に誇れるのはマンガとかアニメばかりのような言い方をする政治家もいますが、
それよりなにより、もっとすごいものが日本にはあるんです。

by yokonozo (2009-10-02 11:07) 

黒木

マンガやアニメの中でもハイカルチャーになるものもありますしね。

それに、「キリスト教がないから」と言う割にはキリスト教を知らなさすぎるので、がっかりします。

皆様、Niceありがとう御座います。

by 黒木 (2009-10-02 21:51) 

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