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内田樹氏のどこがだめなのか [文学について]

「政治の美学化」と「美学の政治性」という2つの概念がある。

「政治の美学化」とは、政治的な議論を正しいか正しくないかではなく、美しいか美しくないかに置き換えてしまうこと。

「美学の政治性」とは美しいか美しくないかがいかに政治に作用してしまうか、という問題系のこと。

僕らよりの上の世代の仏文研究者には「政治の美学化」を好むものが多い。積極的に政治を語り、文学理論や所謂現代思想を応用することによって現状を分析し、自らの政治的前衛を誇るのである。その分析は面白いのだが、では具体的にどうすれば良いか、と問うと「現実を見ろ、という場合、この現実とはイデオロギーにしかすぎない」とか「直接行動を説く欺瞞性を弾劾しなければならない」とか「何もしないことが一番過激な政治運動なんだ」とか「具体的な政策を考えるのは政治家や官僚の仕事だ」などと言って、はぐらかす。

結局は、政治的発言を行なうことで格好つけているだけ、と言ってしまえば言い過ぎだろうか? 格好よい自分が好きなだけで、何ら具体的な提言など端からするつもりがないのだ。

その代表格が、内田樹氏ということになるだろう。最近の彼の議論は「日本は文化的に鎖国すれば良い」というテーゼに集約してしまう。これは、現在のままでの繁栄を享受し続けたい人達には心地よく響くのだから、彼が人気があるのはよく分かる。

しかし、それでは立ちいかないことを氏は気付いていないのだろうか? 気付いていないとすればただの馬鹿だし、気付いているとすれば、自分の人気取りのために無責任なことを言う悪い人である。

「学校の授業なんて、たるいよな」と授業中は寝てばかりいるが、その実、家ではガリ勉していて成績は常にトップクラス、という類の嫌なヤツだとも言えよう。

だいたい専門領域が現代思想というならば、資本主義の行き詰まった現状に関する今現在のフランスの動向を伝えなければ、仏文学者としては失格以外の何ものでもない。現代思想と言いながら、30年前の思想しか扱わないのでは明らかに不十分である。何より、氏が最近議論する公共政策に関しては、フランスでも様々な議論が展開されているのだ。氏はそれをご存じないのであろうか?それとも無視しているのであろうか?

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xe

否認と欠如が明らかな、常に後追い二次的消化不良の、「許可」を与えられた類の解釈じゃありませんように。
こう書いた途端両義的に見え出すし・・。
by xe (2013-12-20 23:39) 

黒木

すいませんが、何をおしゃっているのか分かりません。
by 黒木 (2013-12-22 13:44) 

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