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マラルメと音楽 [文学について]

この度、単著を出しました。フランス国立メーヌ大学に提出し博士号を取得した論文を基にした著作です。

フランス文学研究史上初めて、ハンスリックの「絶対音楽」を俎上にあげた論考です。

また「フランス語は音楽のように美しい言葉である」いうクリシェに対する疑念を喚起しています。
フランス語が美しいというのは、ナショナリズムに過ぎないと思うのです。

19世紀末、すべての芸術は音楽に憧れる、と言われるように
音楽こそが理想の芸術であるとされました。

それは何より、「音楽は表象を超える芸術」だと思われていたからです。
つまり、抽象的な芸術のエッセンスが音楽に凝縮していると思われていたのです。

そして詩人マラルメはこの意味で「音楽のような詩」を書くことによって
20世紀の前衛芸術の先駆けになったとされています。
例えば、抽象画を思い起こしてみてください。

しかし、マラルメ以降の芸術論において「音楽は重要である」
ということは言われるものの、誰もその「音楽」がどのようなもので
あったかについてはきちんと定義しておりませんでした。

そこで私はハンスリックというオーストリアの音楽学者の「絶対音楽」の理念を
導入することによってこの「音楽」の定義をすることからマラルメの詩学を
読み解きました。

実は、フランスという国は現在に至るまで、ドイツ語圏や英米圏の音楽学では
有名であるこのハンスリックの「絶対音楽」の理念を無視しているのです。

何故ならば、「絶対音楽」の理念とは音楽こそが至高の芸術であり、そこに詩=言葉の芸術が
付け加わった場合、芸術の質を落としてしまうという思想だからなのです。
その思想圏内では、詩人は永遠に音楽家の下位に甘んじなければならないことになります。
更に言えば、フランスはドイツの下位に甘んじなければならなくなる、とも言えましょう。

あるいは、ハンスリックの「絶対音楽」を導入すれば、「マラルメが音楽に憧れ
音楽のような詩を書こうとした」、という今までのフランス文学史の常識が
ひっくり返ることにもなりかねません。音楽は詩の権威を脅かすものなのです。

対して、私はハンスリックの音楽美学とマラルメの詩学を対比することによって
マラルメは決して「音楽のような詩を書こうとした」のではなく、「音楽を否定し乗り越えた」地点に
独自の詩学を構築したのだ、という論を展開しました。

これは、「フランス語は音楽のように美しい言葉である」というフランス・ナショナリズムを
支えてきた常識をも突き崩すテーゼであります。

私自身フランス文学研究者ではありますが、この研究の目的は文学の世界における
フランス・ナショナリズムを相対化することにあります。

是非、お手に取って頂ければ幸いです。



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