今後の研究計画について書いた文章だが、このような試みがどのように思われるかまだよく分からないところがあるので、これはボツにして、代わりにここにアップすることにした。
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ボードレールがマネに言った「君は君の芸術の衰退における第一人者に過ぎない」という言葉を端緒に、「理想の実現」と「理想からの衰退」という矛盾した方向性を同時に孕むという現代性の特徴を理解し、ボードレールからマラルメにかけての象徴主義と呼ばれる詩学の革新運動が現代芸術および現代社会に対して果たした役割を解説する。
現代性を<現代における矛盾する方向性を同時に孕みつつ展開していく芸術運動、あるいはその性質を表す概念>と定義しておく。この現代性は、19世紀末に始まる現代芸術が民主主義思想と密接な関係を持っている。現代芸術は、生まれや育ちあるいは教養の有る無しに関わらず、すべての人間が享受できる作品を創り上げることを目指したことをまず確認したい。裕福な親に育てられ高度な教育を受けた者だけではなく、すべての人間が生れながらに持っている理性や感性を働かせれば、あらゆる人間が芸術作品を楽しむことが出来る、という状態を理想としたということだ。しかし、すべての人間に対して開かれたこのような芸術の到来は、作品の理解に知識や教養が必ずしも必要ないという見解にも繋がっていくということに気をつけたい。神や王侯貴族のためではなく広く民衆に親しまれる芸術作品は、教養のない無学な人間にも理解可能ということになるからである。極言すれば、大学での現代芸術に関する講義が、大学で行われている古典文献研究を否定することになりかねないのである。これこそがボードレールが指摘した現代性の矛盾点である。
この現代性を理解するためのキーワードとして<音楽>を取り上げる。19世紀末、すべての芸術は音楽に憧れるとされた。この音楽のモデルとされた概念は、ヴァーグナーの論敵の音楽学者ハンスリックが提唱した「絶対音楽」である。パロールではなく純粋な器楽の響きの中に芸術の理想を置くこの思想は、当然、詩学とは相容れないものだが、フランスではその反詩学の性格が十分に理解されないまま、それどころか曲解された形でフランスに浸透した。すなわち、フランス詩人達にとっての音楽とは、詩情など文学上の概念の隠喩に過ぎず、となれば音楽的であれば散文でも詩たり得るというテーゼは、詩情があるから詩であるというトートロジーとして機能していることになる。音楽に依拠する散文詩は理論的に極めて脆弱な側面を持っているということだ。
上記の現代性の生成にこの音楽がどのように寄与し、そしてその矛盾点を内包した形でいかに前衛芸術が発展してきたかを解明することによって、現代芸術の特徴と問題点を詳述する。
]]>映画についてはこのサイトをご覧ください:
http://themanwhomendswomen.peatix.com/?lang=ja
映画の後、野津美由紀氏(認定NPO法人難民支援協会)、渡部清花氏(WELgee)、望月優大氏(スマートニュース株式会社)によるトークショーが行われました。日本人として難民問題とどう向き合うか?というのが主要なテーマの一つでした。
以下、感想です。
キリスト教はすごい、ということをまず認めることが必要だと思います。なお、私は上智というイエズス会の大学で学びましたが、信徒ではありません。
Dr.ムクウェゲが被害者たちの身体だけではなく心の傷も治せるのは、彼の父親が牧師であったことが大きいのだろうなと感じました。つまり、彼が女性たちを癒すために行なっている集団セラピーに関しても、この問題を啓発するために行なっている社会運動ついても、教会はノウハウを持っています。もちろん、Dr.ムクウェゲは優秀ですし、人格的にも優れた人物です。しかし、彼が単に優秀で良い人だから女性たちを救えているわけではないと思います。大学の医学部で外科手術の技を身につけたように、女性たちにみんなの前で心の傷を語らせ、踊らせ、歌わせ、自尊心を回復させるのも、人々を動員し運動を推進していくのも、あれは確実にキリスト教会が開発し受け継いでいきたノウハウによるものです。
そこで難民の話です。上智の社会学科の友人で難民問題を扱っている人がいました。上智の横にはイグナチオ教会というのがあり、そこでは日曜日ごとにフィリピン人たちを中心に移民や難民の人たちが集まっています。ミサってのは宗教儀式なんですけどね、中にはミサよりも人々との繋がりを求めてやってくる人たちもいるってことです。そんなことは教会も分かっている。でも、人との縁を求めて人が集まり、教会の教えも徐々に広まっていく。さすがですよね。友人はそこへ行って、何か援助ができることはないか?と聞いたそうです。すると、援助はいらない、でも本当に援助がしたいのなら、日曜日にここに来て、まず人々の輪の中に入って欲しい、と言われたそうです。(もちろん友人は積極的に参加していました。)
日曜ごとに教会で開かれる集会。そういう仕組みを持っているキリスト教は強いです。人が集まれば、自然と人の輪ができ、運動へと繋がる。教育も与えられる。キリスト教ってのは教義だけではなく、そういう社会的実践のノウハウを持っているところがすごいな、と思います。
で、我々に何ができるか、です。キリスト教徒ではない僕にはミサという選択肢はありません。(様々な活動を行なっている教会組織に対しては協力は惜しみませんが。)で、何ができるかです。もう集会やるしかないですよね。僕らがミサをやるわけにはいかないので。そこで、我々にできることと言えば、稲刈り、祭り、コンサート、もうなんでも良いと思うのです。
「難民との交流のための」なんて看板を掲げる必要はないのです。(別に掲げても良いですが)普段僕らがやっているようなコンサート、祭りなど、口実はなんでも良い。好きなことを好きな人が集まってやる。その人の中の輪に、難民の人も日本人もいれば良い。それが理想なのでは?と思いました。
クルドの人たちとの交流会に出たことがあります。男性や子供達はまだ良いんですよ、職場や学校で人の繋がりを得られるから。お母さんたちが家で孤立してしまうですよね。だったら、ミサのように気軽に参加できる集会、それが理想です。実際、集まるば=教会あるいはモスクを持っている宗教は強いですよ。
例えば、宗教学者の友人は農耕と神事を理解するために、小田原に田んぼを借りています。そこで研究者やダンサーなどが集まって、田植え、稲刈りを皆で行い、神事と称したパフォーマンスまでやっています。秩父に住むギタリスト笹久保さん(妻君はペルーの人)はコンサートだけではなく様々なアートイベントをあちらこちらで仕掛けています。山登りもします。
そういう僕らの日常を難民の人たちとも共有したい、と討論を聞いていてそう思いました。そしてそれはDr.ムクウェゲの活動に触発されたことです。
Pourquoi ? C'est très simple. Car il répète de critiquer sévèrement l'euro-centrisme.
Pendant ces 100 ans, le Japon a eu un complexe d'infériorité contre l'Europe. Bien entendu, nous en avions eu, peut-on-dire, contre la Chine jusque-là et avons trouvé un autre but ? Soit, à partir de l'époque de MEIJI, avons-nous une mauvaise obsession contre l'Europe qui a accablé la Chine avec une grande force militaire : nous aussi, sera-t-on envahi par l'Europe un autre jour ?
Des japonais ayant une aspiration vers l'ouest ont réussi à y débarquer ; par ailleurs, la plupart d'eux en est arrivée à aggraver son complexe en se retrouvant incapable de devenir vrais européens. Puis, des intellectuels qui, tout en y vivant, voulaient s'en tenir à re-découvrir notre culture traditionnelle, ils ont fait sombrer leur complexe dans le silence, dans la mesure où ils ne sont pas arrivés à détoxiquer une Europe nous hantant qui avait été postulée en tant qu'une partie d'un binôme dont l'autre partie était la tradition japonaise.
Donc, il n'est pas difficile à comprendre : bien que son origine marginale, après un grand succès de ses études dans les grandes écoles, Jacques DERRIDA, répétant de critiquer un orgueil de l'euro-centrisme, est devenu un héros parmi les chercheurs japonais. Car son discours console délibérément notre coeur blessé, qui arrive dés lors à avoir une catharsis suave.
J'avoue : en fait, je respecte DERRIDA, et suis influencé par lui. Mais, c'est un secret, au moins au Japon.
Pourquoi ? Parce qu'au nom d'une minorité qui proteste le pouvoir, ce que l'on appelle DERRIDA fonctionne un centre puissant. Nous, la plupart de chercheurs japonais francophones, d'abord on a un complexe contre l'Europe ; ensuite, on se plaint d'être mal traité par rapport aux chercheurs de la science, de l'économie ou de la jurisprudence, etc. : c'est-à-dire, on est complexé au double sens. Enfin, on en arrive à être fier que nos comportements académiques soient avant-gardes, sous prétexte de nos positions marginales. S'il agit, pourtant, de l'intérieur de la "Société Japonaise de Langue et Littérature Françaises", existe un centre où de l'argent et du pouvoir agissent en tant que tels. Mais, Il n'est pas du tout étonnant qu'un professeur ayant du pouvoir qui est fier de sa marginalité sans prendre conscience de son statut, il nous embête, les jeunes chercheurs étant contraint de rester encore marginals. Un DERRIDA qui fonctionne comme centre, même s'il s'agisse de ce philosophe lui-même, notre intention de s'en éloigner implique-t-elle que nous avons l'esprit tordu ? Non, peut-être.
Autrefois, j'assistais à un séminaire de la sociologie de l'ethnicité pour des étudiants en 3ème cycle au Japon. Il y avait deux chercheurs qui étudiaient sur Okinawa, une île au Japon, dont le peuple est considéré comme une minorité. L'un est de souche d'Okinawa, l'autre, japonais. Le discours de ce dernier nous irritait souvent : "Les gens d'Okinawa sont pauvres, car ils sont objet de la discrimination" ; "Nous japonais ont fait très mal avec Okinawa." etc.. Il est sûr qu'il n'avait pas complètement tort. Cependant, ce qui est juste au point d'être trop juste n'est pas toujours juste. Chaque fois que ce japonais énonçait cette sorte d'opinion, le premier lui a protesté opiniâtrement : "Je suis fier d'être né en Okinawa, mais jusqu'à maintenant je me suis dit mille fois que si j'étais japonais, je n'aurais pas de la peine à cause de la discrimination !!" Ce discours n'était pas académique, plutôt émotif. Enfin, il a conclut à l'air triste : "Un être humain qui ne connaît qu'un bonheur d'être la majorité n'arrive jamais à comprendre cette douleur." Bien entendu, nous savions : cet énoncé peut tomber dans un racisme rétréci. Néanmoins, nous savons aussi l'existence d'un moment où nous ne pouvons pas résister à crier ces mots forcément ou inévitablement.
En principe, nous ne sommes pas conscients d'un privilège dont nous jouissons ; nous le considérons comme droit juste. Par ailleurs, quand ce privilège fonctionne dans une société, celui-ci devient tout à fait ce que l'on appelle Idéologie. Par nature, une idéologie qui fonctionne est parfaitement transparente, si bien que l'on n'en est pas conscient.
Moi, bien que j'aie un certain respect pour lui, je voudrais quand même garder une distance avec un DERRIDA qui dégénère en idéologie.
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17世紀フランスの新旧論争に繋がる論点が丁寧に解説されており、非常に勉強になった。
私の博論は、19世紀末の詩人ステファヌ・マラルメの詩論においては音楽がアレゴリーの機能を帯びているという論を展開した。というわけで、アレゴリーは私の研究にとって重要なキーワードなのだ。
舞台芸術を文学と音楽の双方から見る場合、そこで中核となる概念がアレゴリーになるのではないか、と考えているのである。
その私にとって、ルネサンスを専門領域とする方の論文は非常に参考になった。
ただ、一つ、衝撃のフレーズがあったのでそれを記しておきたい。
「確かに聖餐の秘蹟におけるパンと葡萄酒はキリストという実体を表す可感的形象であり、寓喩[アレゴリー] を成すと言える。それだけに、秘蹟と古代秘儀との同源性への言及は、間接的にもせよ公式の信仰を脅かすに十分な見解であった。」(p.40.)
聖体拝領のパンがキリストのアレゴリーである、という見解は決して「間接的」ではなく、直接的に「公式の信仰を脅かす」ものだと思う。
そもそも聖体拝領のパンは決してアレゴリーではない。パンが聖体拝領を通して、キリストの身体そのものになる、というのがキリスト教の根本思想なのだ。少なくとも、私はそう学んだし、その理解に基づいてマラルメの典礼論を論じている。
アレゴリーとは何かの代理であり二次的なものにしか過ぎないのに対し、聖餐たるパンは決してそのような代理ではなく、実体そのものである、という理解だ。
だが、ルネサンス期に、アレゴリーを一次的な実体そのものに繋げて考えるという思想が発生したのなら、これほど興味深いことはない。
元来、キリスト教徒にとって、聖書に書かれている内容は、歴史的事実である。対して、神話=mythe/fableは、語源から言って虚構=fictionなのであり、つまりギリシアなどの異教の神々を主役にした作り話に過ぎない。例えば、イエスは過去に実在した人物であるのに対し、ゼウスやアポロは古代ギリシア人が想像力の中で作り出した架空の神々というわけだ。
このような神話と聖書の関係は、キリスト教の歴史において非常に重要なものであると言える。そして現在文学と呼ばれる作品群は、神話=フィクションの系譜の上に存在していることになる。
ここで、「文学」という用語が現在のような意味を獲得したのがここ100年ちょっとのことであり、それ以前においては「詩」という総称のもと「神話=フィクション」が紡がれていたということを思い出しておきたい。
であれば、田中氏のアレゴリーの議論が「詩的神学theologia poetica」という言葉に収斂していくのは極めて自然のことである。元来、作り話を語るためのものである詩で、神と真理を語るのは不敬だとされていたのである。対して、もし本来はオリジナルに対して二次的な位置しか占めない代理物であったアレゴリーがオリジナルと繋がっていると考えて良いのなら、架空の物語が真実へと繋がっていてもおかしくないことになる。
このように、古代ギリシア・ローマの学芸をキリスト教思想とごちゃまぜにしたルネサンス期において、アレゴリーの名の下に架空の話を通して真理へと到達することが出来る、と考えられるようになった、という具合に理解すれば、その後の学芸の発展の歩みがすっきりと理解できるようになる。
例えば、17世紀フランスの新旧論争においては、「キリスト教叙事詩は可能か?」、つまり叙事詩という神話=フィクションを語る分野で、神のことを語って良いのか?という論争が巻き起こることになることを言い添えておく。
まさに田中氏の論文は知的刺激に満ちたものであった。
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いろいろ議論は尽きないが、特に気になった論点を一つだけ採上げてみよう。
助川氏は「純文学」を、夏目漱石などの「本格小説」や田山花袋などの「私小説」に分類した上で、村上春樹の小説をそのような従来のタイプには属さない「体験型アミューズメント」型の作品であると見なす。つまり、村上春樹はもはや純文学ではなく、むしろ娯楽的な側面の強い作家ということになるだろう。
見事な分析である。しかし、私は「体験型アミューズメント」型と見なすことのできる詩人を思い起こす。19世紀末フランスの詩人ステファヌ・マラルメである。
マラルメの詩は難解であるとされる。それは読み手の解釈次第で様々な読みが出来るように、重層的に意味が織り込まれているからなのである。そこで文言の奥底に潜んでいると思われる作者の意図を読み解くという行為はほとんど意味をなさない。何故なら、詩という文学の場で読者に自由な読みを展開させていくことこそがマラルメの意図だからである。
となれば、マラルメも村上春樹と同じ「体験型アミューズメント」型の作家ということになろう。
しかし文学史の世界でマラルメは<純粋>を追求した詩人として知られている。それは20世紀に入って<純粋詩>と呼ばれたり、あるいは、特に弟子のヴァレリーによって<絶対詩>と呼ばれることとなった。また、アンドレ・ジードの<純粋小説>も当然その延長にあると言って良いだろう。
つまり、村上春樹は、<純文学>の枠に当てはめることのできない「体験型アミューズメント」であるところに特徴がある、と助川氏は分析しているわけだが、その<純文学>の源流には、実は「体験型アミューズメント」型の詩がある、ということだ。
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助川幸逸郎氏『光源氏になってはいけない』読了。
面白い。氏は豊穣な学識を誇りながら、誰にでも分かりやすく日本を代表する物語文学を解説している。私にはこのような万人に向けた本を書くことは到底不可能である。私の心の中にはどす黒くも激しい嫉妬の感情が芽生えてきた。従って、悪口を書こうと思う。
私は、源氏物語を原文で読んだことがある。高3の時の古文の教材だったのだ。一年を通して源氏物語を講読した。もちろん、部分的でしかないが。で、改めて思う、今後、源氏物語を読むことはおそらくないであろう、と。やはり源氏物語は好きではない。つまりこの助川氏の本が面白いは、助川氏が面白いのであって、決して源氏物語のおかげでないということだ。
助川氏の文学研究者としての才能は、おそらく氏が得意としておられる手相占いに通じているように思う。氏の解釈は、まるで氏の占いを聞いているかのように面白いとも言える。
その長所はとにかく面白い、ということ。その欠点はその解釈が説得的ではあるが果たして本当にそうだか分からない、ということ。果たしてその解釈が正しいかどうかは別として、読んでいてついつい引き込まれてしまう、それほどまでに面白い。まさに助川氏の才能は、源氏物語にせよ、野球にせよ、相撲にせよ、何らかの題材を基に面白いストーリーを立ち上げることにある。ただ、面白いのと、正しいのは必ずしも一致するわけではないこと問題だ。
対して、私とは言えば、文学研究者ではあるが、そのようなストーリーを立ち上げる能力がほとんどない。というか、そのようなストーリーを紡ぐことに全く興味がない。私には、ストーリーを語ることだけが文学研究だとは思えない。
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ジャン=フィリップに引かれて、フランスはブルターニュRostrenen市のFestival Fisel2009に行って来た。音楽と踊りのフェスティヴァルである。フランス語で「ハサミ」と呼ばれるダンスで名が知られている。
踊りは伝統的なものだが、音楽の方は伝統的なものから、伝統に基づきアレンジした現代的なものまで多岐に渡っている。正直、そのレベルの高さは国際クラスである。
ここで、僕はサブカルチャーとハイカルチャーの問題について考えてしまった。
僕らが大学生だった頃、ワールド・ミュージックが流行って、世界中のいろいろな民族(=伝統)音楽が紹介された。盛り上がる僕に、一緒にバンドをやっていた松本という友人はこう言った。
「フランスのMalicorneが素晴らしいのは認めるよ。でも、民族音楽って言ったってさ、田舎のジッチャン、バッチャンが歌っている民謡程度のものだって多いわけだろ。そりゃあ、独特な音階とか使っているから、一見刺激的だけど、本当に素晴らしいものかどうかは良く見極めなければいけないんじゃないの?」
少々言葉は乱暴だが、彼の言っていることは正しい。伝統的な技芸がすべて素晴らしいわけではなく、それが芸術として洗練されるためには、ヒマとカネがある程度費やされなければならないということだ。これを単純な二項対立に整理するとサブカルチャー=田舎臭い技芸とハイカルチャー=洗練された芸術ということになる。単純な言い方をすれば、歴史的に長い間、このハイカルチャーの殆どがヒマとカネを持て余している支配階級の専有物であったということになる。
まぁ、アドルノなんて人は資本主義によってハイカルチャーがサブカルチャーに堕落していることを嘆いた人なわけだが、事態はそんなに単純ではない。何故なら、例えば、今の日本の漫画やアニメなど、洗練されたサブカルチャーというのもあるからである。モダン文明が到来し、多くの人がヒマとカネを持てるようになり、それに合わせてカルチャーのあり方も変容したということだ。
で、ブルターニュの音楽とダンスだが、もともとは正真正銘のサブカルチャーである。何よりブルターニュの民衆が祭の時に踊っていたダンスとそれのための音楽だからである。
だから、本来のブルターニュ音楽は単調である。基本的には同じリズムで決まったメロディを延々と繰り返していく。あくまでも主役は踊りなわけで、音楽はそれの伴奏にすぎない。複雑な演奏をしてステップが乱すことがあってはならないのだ。正直、音楽だけを録音してそれを聞いても、単調すぎてつまらないと感じる人も多いだろう。あくまでも踊りと合わせて聞くものだし、更には実際に踊ってみて始めてその面白さが実感できるのだ。
というわけで、ブルターニュの歌とダンスは明らかにサブカルチャー=民衆文化にその起源を持つわけであるが、今もなおサブカルチャーのままであり続けているかというとそうではない。このFestivalFiselは2009年現在で37回目ということだが、ということは40年ほど前に伝統文化を素材としてフェスティヴァルを立ち上げようという動きがあったということになる。つまりカルチャーを土着の状態から切り離し、舞台に上げ、ヒマとカネをかけて洗練させようという努力があったということだ。
更に、このフェスティヴァルは、決して過去の伝統文化を保存しているだけではなく、そうような伝統的な音楽に基づき現代楽曲にアレンジした音楽も盛んに演奏されていた。ジャズ風なアレンジ、現代音楽の試み、世界の他の地域の民族音楽との融合など、それはまさに世界でもトップクラスの面白さである。
彼の地では、サブカルチャーでもあり、ハイカルチャーでもあり、そんな至福の時が流れていた。そして、こんなことが日本にもあったらよいな、と思った。
かつて「ヨーロッパはキリスト教があるからハイカルチャーが成り立つけど、日本にはサブカルチャーしかないから」と言った国文学専門の友人がいた。これは間違いである。例えば、現在ハイカルチャーの典型例と見なされる西洋のクラシック音楽でさえ、祭り上げられヘゲモニーを確立するのは19世紀以降のことなのだし、また、庶民を完全に無視して玄人である上流武士のためだけにヒマとカネをつぎ込まれ洗練されていった日本の能以上にハイカルチャーな芸術は世界的に見てもまず無いと言って良いだろう。
芸術と現代生活、そんなことを考えた。特に、日本における芸術のあり方について考えた。そして日本においてもこのようなフェスティヴァルが出来たら、と。
]]>ジャン=フィリップのおかげで、ブルターニュに行ってきた。
ところで、いつの間にやらジャン=フィリップは僕がブログをやっているのを知っている。そして「トモオキがブログに今回のブルターニュ滞在について何て書くか楽しみだな。まぁ、オレは読めないのだけど」などと言う。どこから漏れたのだろうか?さんざんお世話になった以上、書かないわけにはいかないし、ブツブツ...
今回は、Rostrenenを中心に内陸部をかなり回った。正直、「かなりど田舎だな」という印象を持った。主要産業は農業、それも畜産である。特に豚は人の数より多いのだそうだ。人々は動物とともに暮らしている。人は動物を必要としてきたし、動物も人を必要としてきた、と友人のオリエは言う。
日本で動物の権利論をやっている友人のことを思った。
フランスの場合、ドアを開けたら直ぐに家の中である。玄関で靴を脱ぐというようなことはなく、日本でいう「土間」が一階のすべてを占め、そこは既に生活空間なのだ。
ブルターニュを代表するラジオ局RKBのアナウンサー、ジャン=ピエールのうちにいくと、犬が4匹駆けてくる。彼らは人間の行くところ、どこでも出入り自由だ。テーブルに座ってご飯を食べていると、股の間からひょっこり顔を出し、何かをくれと催促する。グラムシ研究者にしてペット・トレーナーの川上さんが聞いたら、泣いて喜びそうな環境だ。
だからと言って彼らが動物愛護者というわけでは断じてない。かつては農業を営んでいたジャン=ピエールは今でも大きな牧場を持っていて、「今は別に金儲けのわけにやっているわけじゃないんだけどね」と言いながら、牛や馬を飼っている。そしてその牛の殆どは屠殺され人間に食べられる運命にあるのだ。
口にするのは肉だけではない。動物達の乳も、そのままであるいはバターやチーズに形を変えて大量に消費されている。南仏のオリーヴオイルをベースにした料理に親しんでいる僕としては、大量の肉料理もともかく、そのソースに使われるバターにウッとなる。困ったことにブルターニュのバターはおいしいのだ。
ミュージシャンのマルト・ヴァサロは菜食者と聞いていたので、彼女と一緒いればさっぱりしたものを食べられると期待していた。ところが、彼女は肉は口にしないものの、朝からすごい量のチーズを口に運ぶ。チーズは決して嫌いではないのだが、連日の酒と肉食文化でやられている僕は、マルトの食べっぷりを見て、何故だかチーズを口にする勇気を無くしてしまった。
マルトは、他の地域ではオリーヴとか向日葵とか油が大量にとれる作物があるかもしれないけど、ここブルターニュではそのような植物は採れないのよ、と言う。油を取るために次から次へと動物を殺すわけにはいかないでしょ、だったら動物の乳から油分を取るしか無いのね、と続ける。
驚いたのが、最後にお世話になったオリエのうちである。基本的には菜食者である彼の家では一切乳製品を使わないのである。奥さんが菜食者ではないので家庭単位では多少の肉は消費するものの、ブルターニュ料理に欠かせないクリームの類がすべて植物性なのである。しかも有機栽培以外のものは絶対に使わない。
かつて、彼の息子は耳の病気に悩まされていたのだそうだ。ところが、乳製品をやめた途端に良くなったと言う。子供たちの将来の健康は親の責任だろ、と彼は結んだ。東京で会った時は、他のミュージシャン仲間と酒を飲んで馬鹿騒ぎしていただけだったが、いざ膝を突き合わせて話してみると、しっかりとした考えを持った教養人であることが分かり、嬉しくなってしまった。
環境倫理学を専門とする友人が言うように、むやみに動物の命を奪うのは好ましくないことだし、また、肉の消費量を減らすことは環境への負荷を考えても必要なことだとは思う。しかし、長い間、動物と共存し、そしてタンパク源として動物に頼ってきたブルターニュの文化を考えると、動物の権利論の正義の道は、たとえその要求が必要なものだとしても、簡単ではないなぁ、と思った。
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