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私の研究の根底にある問題意識 [文学について]

ボツにした文書をアップする。


今後の研究計画について書いた文章だが、このような試みがどのように思われるかまだよく分からないところがあるので、これはボツにして、代わりにここにアップすることにした。


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 ボードレールがマネに言った「君は君の芸術の衰退における第一人者に過ぎない」という言葉を端緒に、「理想の実現」と「理想からの衰退」という矛盾した方向性を同時に孕むという現代性の特徴を理解し、ボードレールからマラルメにかけての象徴主義と呼ばれる詩学の革新運動が現代芸術および現代社会に対して果たした役割を解説する。


 現代性を<現代における矛盾する方向性を同時に孕みつつ展開していく芸術運動、あるいはその性質を表す概念>と定義しておく。この現代性は、19世紀末に始まる現代芸術が民主主義思想と密接な関係を持っている。現代芸術は、生まれや育ちあるいは教養の有る無しに関わらず、すべての人間が享受できる作品を創り上げることを目指したことをまず確認したい。裕福な親に育てられ高度な教育を受けた者だけではなく、すべての人間が生れながらに持っている理性や感性を働かせれば、あらゆる人間が芸術作品を楽しむことが出来る、という状態を理想としたということだ。しかし、すべての人間に対して開かれたこのような芸術の到来は、作品の理解に知識や教養が必ずしも必要ないという見解にも繋がっていくということに気をつけたい。神や王侯貴族のためではなく広く民衆に親しまれる芸術作品は、教養のない無学な人間にも理解可能ということになるからである。極言すれば、大学での現代芸術に関する講義が、大学で行われている古典文献研究を否定することになりかねないのである。これこそがボードレールが指摘した現代性の矛盾点である。


 この現代性を理解するためのキーワードとして<音楽>を取り上げる。19世紀末、すべての芸術は音楽に憧れるとされた。この音楽のモデルとされた概念は、ヴァーグナーの論敵の音楽学者ハンスリックが提唱した「絶対音楽」である。パロールではなく純粋な器楽の響きの中に芸術の理想を置くこの思想は、当然、詩学とは相容れないものだが、フランスではその反詩学の性格が十分に理解されないまま、それどころか曲解された形でフランスに浸透した。すなわち、フランス詩人達にとっての音楽とは、詩情など文学上の概念の隠喩に過ぎず、となれば音楽的であれば散文でも詩たり得るというテーゼは、詩情があるから詩であるというトートロジーとして機能していることになる。音楽に依拠する散文詩は理論的に極めて脆弱な側面を持っているということだ。


 上記の現代性の生成にこの音楽がどのように寄与し、そしてその矛盾点を内包した形でいかに前衛芸術が発展してきたかを解明することによって、現代芸術の特徴と問題点を詳述する。


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