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la Mort [散文詩]

 2003年4月、南仏にて恩師小田桐の訃報を知る。公私ともに僕の支えだった。享年54歳。心の一部を削られるような感覚に襲われ、その後いつまでも悲しみを引きずる。人は50代で死んではいけない。自分自身のためにも、そして他人のためにだってまだまだ働き続けなければならない。
 今、50代の友人が癌だと言う。もしかしたら死ぬかも知れない、と。「でも、まだ僕の人生終わったとも思わないし、まだまだやることたくさんあるからね」と電話先で明るく笑う。もちろん、彼に死んでもらっては困る。一緒に準備している企画があるのだ。
 でも、最悪のケース、つまり彼が死んだ時のことを考えている僕がいる。残されたものが彼の仕事を引き継がなければならないからだ。
 だが、実際、僕は、その時、どのくらい悲しむのだろうか?
 阿部先生が逝った時も、祖母が逝った時も、小田桐の時ほど悲しめはしなかった。年寄りなのだから仕方がないと半ば諦めていたように思う。
 そうなって、悲しめなかったらどうしよう、彼に申し訳ない、とそんな馬鹿なことを考えている。
 このような思考はとても危険だ。何故なら、いっそのこと、彼より早く僕が先に死んでしまえば、という思いが頭をもたげてくるから。

自殺などする勇気も持たぬ臆病者が、ふと、死を夢想する晩に、書く。


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コメント 12

じょひか

>彼より早く僕が先に死んでしまえば
と思ってしまうのは、関係が深かった人の死に直面したくない
と言うか、彼の死を認めたくないからなのではないかと。
以前死に直面されて心の一部を削られるような思いをしてきた分、
自己防衛みたいな機能が働いているのではないかと…。

>残されたものが彼の仕事を引き継がなければならないのだ。
悲しくて何もできなくてただ泣きじゃくる人もいれば
悲しくて責任感が生まれる人もいるのではないかと・・・。

私は父方の祖父母が亡くなった時は泣きませんでしたし、
異国からの電話越しに泣きじゃくる兄や従兄弟に、正直、白けました。
こんなに冷静な私ってどうなの?って自分が嫌いになりそうでしたけど。

それでも、特に祖父の生き方(菜食とかヨガとか)は
好きで尊敬していましたし、今の自分の生き方に少なからず
影響していると思います。と言うか・・・泣かなかった私こそ、
泣きじゃくった他のどの従兄弟達よりも祖父の生き方に忠実で、
祖父に近い存在なのだという確信があります。一通りの悲しみ方
とか愛情の示し方でなくても、まぁ良いのではないかと思います。

・・・……時折、人には「冷めてるね」とか言われてもw
by じょひか (2007-09-10 23:03) 

黒木

いや、今死なれると大変困る。せっかく友だちになれたのに、というのもあるし、彼なしであのプロジェクトを遂行するのもかなりしんどい。頼むから死なないで欲しい。
by 黒木 (2007-09-10 23:29) 

じょひか

切実なんですね。

黒木さんは沢山のプロジェクトがあって
大変ですね。ごゆるりと・・・
by じょひか (2007-09-11 21:29) 

黒木

金にならないプロジェクトばかりです。
by 黒木 (2007-09-11 22:10) 

じょひか

お金になるプロジェクトも一つくらいあると良いですね(笑
by じょひか (2007-09-12 17:39) 

黒木

実のところ、問題は、お金になるプロジェクトではないのです。

学問、芸術系のプロジェクトなんてそんな儲からなくても本来は良いのです。

重要なのは、安定した食い扶持。ポストでもよいし社会保障でも良い。それがない状態で大きなプロジェクトを抱えるのはきつい。小さなプロジェクトなら自分と周りの数人が残念だったね、で終わるけど、大きなプロジェクトは多くの人が動くので、責任感が違います
by 黒木 (2007-09-12 21:46) 

じょひか

>学問、芸術系のプロジェクトなんてそんな儲からなくても
本来は良いのです。

私は・・・儲かっても良いと思います。

話はそれますが、もしもDonationに頼りきって生活を立てている
孤児院だとかの子供達が、学問だとか芸術だとかで小さいうちから
自立できるシステムがあるとしたらこれ以上に
素晴らしい事はないと思います。

というか、そもそも芸術は儲からないし、みたいな考えが
定着しているからこそ、学校教育においても
美術とか家庭科とかの教科が、他の数学とか英語とかの
教科に比べて重要度が低いような気がします。
私は、美術の授業が、数学や英語と同じくらいの頻度で
あってもなんらおかしい事はないと思うのですが・・・・
特に美術、音楽、家庭科とかは、いつの間にか
選択科目になってしまいますよね・・・
インドなんて、学校によっては
日本でいう高校生以降は、美術の科目がないんですよ!びっくり!!

>ポストでもよいし社会保障でも

では芸術は、それなりに大きなプロジェクトを抱え込む事が
できる程のポストと社会保障がしっかりしている人達だけの
為の娯楽なのでしょうか・・・?

小さなプロジェクトとか大きなプロジェクトとか、
黒木さんにとっては、始める前から意気込みが違うのでしょうか?

>小さなプロジェクトなら自分と周りの数人が残念だったね、
>で終わるけど、

小さなプロジェクトは、そんなもんなんですかね、

私にはよくわかりません。
by じょひか (2007-09-13 17:04) 

黒木

特に美術、音楽、家庭科などは別に中学校以降は必修ではなくても良いと思うけど。やらなくても良い、ということではなく、やりたい人が学べる機関があればよいわけで。

で、そのような機関が金儲けに走ってしまえば、金になるプロジェクトは素晴らしいが、金にならないプロジェクはだめ、ということになって、貧しいものにとって芸術の門は閉ざされてしまいます。

大きいプロジェクトも小さいプロジェクトも、価値においては差がありません。

ただ、大きなプロジェクトの場合は多くの人が関わるので、責任が大きくなるという話。もちろん、繰り返すけど作品の価値の話ではありません。露骨にお金の話です。

ちらし、レンタル機材、その他様々なことにお金がかかります。払えなければ負債となります。それに関する責任を一人の個人が負担するのはつらい。そういう話。

それにね、僕らみたいに日雇いで喰っている人間は、プロジェクトのために仕事を休めばその分収入が減ります。それは遊びのための金ではなくて、生活のための金です。それを犠牲にしてまでやるのはしんどいねって話です。

というわけで、あなたの論点はずれているのがお分かりかな?

数学とか英語とかに関わる研究でも、基礎研究のレベルでは「儲け」に走ると成り立ちません。

だいたい芸術はただの「娯楽」ではありません。それで儲けなきゃいけないとなると、ますます貧民には道が閉ざされてしまいます。
by 黒木 (2007-09-13 17:33) 

じょひか

私は美術も音楽も家庭科も必修だったら良いのになぁと思います。
高校の頃、音楽も美術も家庭科も全部とりたかったけど、
どれか一つしか選べなくてしかも週に1時間だったので、
残りの29時間(?)程は拷問に近かったです。

特にここインドでは、絵を描くのが大好きだったり
お裁縫が得意でも数学やその他の教科が苦手だと
学校に行けば「勉強ができない」のレッテルを貼られるみたいなので・・・
日本では、外で楽器とか習えるから良いと思うけど、
ここでは塾とかに行くお金もないと(それが大半)、それで道は
閉ざされるわけでしょ、だから余計に必須だったら良いのになと思います。

>というわけで、あなたの論点はずれているのがお分かりかな?

プロジェクトにかかるお金と プロジェクトの価値観は全く別問題、
と頭の中で自然にふりわけて考えられる・・・というわけですね・・・

私はお金の事を考えすぎると、価値観とごっちゃになってしまいそう
でプレッシャーとかが恐いので、あまり考えないようにします。
とは言え、「ちょっとは儲かって、おばあちゃんに10万ルピー
以上するサリーを買ってあげられたらいいなー」とかは夢に見ていますが。

黒木さんという人がどういう人なのか全くよくわかっていないのに、
小さな小さなプロジェクトの提案だけずいぶん前にしてしまったので、
貴方の文章を読んで疑問に思った事を素直に聞いてみただけです。
不快にさせてしまったのならすみませんでした。
by じょひか (2007-09-13 23:50) 

yokonozo

志半ば、という表現がありますが、
まだまだやることがあるから、生きていたいと思うし、
死にたくないと、激しくもがくのかもしれません。
かといって、
何かを成し遂げたから、もう死んでもいいや…というワケでもありません。
もうなにもかも済んだから、と言って、
すべてを納得して死ねる人なんていないんじゃないか、と
個人的には思います。

黒木さまのように、
死を惜しんだり悲しんだりする人がいてくれたら、
きっと幸せだろうな、と。
by yokonozo (2007-09-14 08:08) 

黒木

コメントありがとう御座います。

一人の死が、残された多くの人の人生に影響を与える、ということがあるのだな、と小田桐先生の死後、感じました。悲しいというだけでなく、実際の公的な活動においても彼を失った痛手はあまりに大きかった。

で、癌になった彼にも言ったんです、「50代で死ぬと周りは迷惑するよ」って。
by 黒木 (2007-09-14 09:23) 

yokonozo

>「50代で死ぬと周りは迷惑するよ」って。

確かに仰るとおりかもしれません。
先日死んだ、私の昔の恋人も54歳でしたが、
おそらくは…。

50代は仕事をバリバリしている年代ですね。
まして研究ではまだまだこれからがある。
いろんな意味で「まだ早い」のでしょうね…。
by yokonozo (2007-09-14 20:37) 

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