私めのカミュ/サルトル論@Web Tokai [文学について]
片山同志、千金良同志、申し訳ない。それぞれに素晴らしいヘーゲル論と三島由紀夫論をweb TOKAIに掲載されたのは知っておりました。もちろん紹介記事を書く気はまんまんだったのですが、2月と3月は(決して名前を明かしてはいけないと言われている)とある偉い人より密命が下り、それをこなすので大変忙しく時間が…ぶつぶつ…
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_07.pdf
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_08.pdf
そして5月のweb TOKAIは私めのサルトル/カミュ論争における人間観であります。
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_09.pdf
自分で自分の文章を紹介するのはなんとなくこそばゆいし、内容に関しては「どうか読んで下さい」としか言えないので、実はここではあまり書くことがない。
ただ一つだけ明かしておくと、共編者の田上さんから「人間観の共著をやらないか?」と誘われた時、私が書きたいと思ったのは私の博論のテーマであるマラルメやボードレールではなく、サルトル/カミュ論争であった。このテーマに関しては決して専門であるとは言えず、しかもサルトルにもカミュにもそれぞれに素晴らしい専門家がいると分かっているのに、敢えて選んだのは、実は、これ、私の卒論の題材だったのである。
研究対象に対する過度の思い入れを捨て、距離を取り、更に同時代の視点から読んでいく、という手法のきっかけを与えてくれたのがまさにこの卒論だったし、何より指導教官であった田中先生へのオマージュとしてこの論考を書きたかったのである。
私自身が専門以外の作家を扱うということで、仏文関係の執筆者には「自分の専門以外の作家について書く」という方針を押し付けることとなってしまった。いろいろと偉そうな言い訳はしてみたが、結局自分のわがままにつき合わせただけの話だ。
ゾラ論を書いてくれた松浦さん、ロブ=グリエ論を書いてくれた中野さん、私のわがままにつき合ってくれて本当にありがとう。
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_07.pdf
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_08.pdf
そして5月のweb TOKAIは私めのサルトル/カミュ論争における人間観であります。
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_09.pdf
自分で自分の文章を紹介するのはなんとなくこそばゆいし、内容に関しては「どうか読んで下さい」としか言えないので、実はここではあまり書くことがない。
ただ一つだけ明かしておくと、共編者の田上さんから「人間観の共著をやらないか?」と誘われた時、私が書きたいと思ったのは私の博論のテーマであるマラルメやボードレールではなく、サルトル/カミュ論争であった。このテーマに関しては決して専門であるとは言えず、しかもサルトルにもカミュにもそれぞれに素晴らしい専門家がいると分かっているのに、敢えて選んだのは、実は、これ、私の卒論の題材だったのである。
研究対象に対する過度の思い入れを捨て、距離を取り、更に同時代の視点から読んでいく、という手法のきっかけを与えてくれたのがまさにこの卒論だったし、何より指導教官であった田中先生へのオマージュとしてこの論考を書きたかったのである。
私自身が専門以外の作家を扱うということで、仏文関係の執筆者には「自分の専門以外の作家について書く」という方針を押し付けることとなってしまった。いろいろと偉そうな言い訳はしてみたが、結局自分のわがままにつき合わせただけの話だ。
ゾラ論を書いてくれた松浦さん、ロブ=グリエ論を書いてくれた中野さん、私のわがままにつき合ってくれて本当にありがとう。
2008-05-09 07:54
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確かにカミュをそういった視点から、もういちど読む必要があるなあ…
いまつくづくそう思いました。
共産主義が、本来持つヒューマニズムから変性して、
楽園は楽園ではなくなってしまうことを見越した上だったのかもしれませんが…
ふむ…そうか、そうだったのかー。…と目からウロコ。
確かに当時は、
ヒューマニズムとしての共産主義は万能のように見えたのでしょう。
共産主義国家は地上の楽園のごとく語られてしまっていたあたり、
しかし後世に生きる我々からすれば、
結果としてこっけいに見えて然るべきなのでしょう。
でも、それは夢であったとしても、
誰もが幸せに暮らせる場所を求めるという意味において、
当時、共産主義に身を投じたのは至極当然だったとも思います。
それくらい、皆熱くなれた。
それが私にはうらやましい。
共産主義という部分にばかり目がいって、
「ダメダメな共産主義だから」と避けて通るのではなく、
やはり「そこに人が集った」には理由があるわけですよね…。
理想であっても、夢であっても、
誰もがハッピーになれる世界を求めたには、理由がある、と。
ワタシは1970年生まれなのですが、
取り残された世代である感は、話をきくたび確かに私にもありました。
自分の親たちが60年安保の世代の洗礼を受けていた分、
まだ私たちの代以降に続く人たちよりは、マシだったかな、とは思うのですが。
親たちは民青に失望し、そこから距離をおいたそうですが、
「人々が幸せになるためにはどうすればよいか」という気持ちは、
その後も変わらなかったのでしょう。
by yokonozo (2008-05-10 06:40)
実は、戦前においてジードが、ソ連は楽園でないことを指摘していました。彼は実際ソ連まで行って見てきたのです。
サルトルは当然情報としてそれを知っていた。ですから最初は共産主義に対して距離を取っているのです。
にもかかわらず、共産主義に入れ込んでいく。それは何故か?そこを考える必要があると思います。続きは本の出版をお待ちください。
by 黒木 (2008-05-10 17:08)
本の出版、楽しみにしております。
非常に興味あります。
by yokonozo (2008-05-12 19:53)
ありがとう御座います。他にも力作ぞろいです。
by 黒木 (2008-05-13 07:53)
xml_xslさん、ありがとう御座いました
by 黒木 (2008-05-21 06:55)