斉藤さんの安野モヨコ論@Web Tokai第三回 [文学について]
現在、マルクス研究者の田上孝一氏と源氏物語研究者の助川幸逸郎氏と共編者となって、共著の計画をしている。「モダン時代における人間観」をテーマにデカルトから安野モヨコまでモダンを代表する哲学者・文学者を選び、12本の論文で一冊の本にしようという企画である。
その予告編とも言うべき連載を東海大学出版会のHPにあるwebTOKAIのコーナーで行なっている。今月は、源氏物語研究で博士号を取られた斉藤昭子氏の「安野モヨコ論」である:
「ラブ」の虚妄とその超克─安野モヨコ作品の人間像
斉藤昭子氏(横浜市立大学特別研究員)
http://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/Ningen_03.pdf
デカルトで始まる「モダン時代における人間観」というテーマの本で、ゾラ、田山花袋や三島などいった小説家に続き、女性漫画家で締めくくることにしたのは正解であった。しかも、古典文学研究者である斉藤さんという優秀な執筆者を得られたことも良かった。
「人間観」という論集に、現代女性の生き方を扱った論考は是非とも必要であるし、また、モダン小説の歴史を踏まえれば現在では漫画こそがその文学の正統な後継者であることは明らかであるからである。しかも、その執筆者が源氏物語という古典文学の領域で博士論文を書かれた方であるというのは、僕にとっては本当に喜ばしいことだ。
だが、実は、この企画が出たのを機会に安野モヨコの漫画『働きマン』にも少しばかり目を通してみたのだが、僕は全く好きになれなかった。共感できないのは僕が男だからかとも思っていたのだが、斉藤さんの文章を読んでどうやらそれだけでもないらしいということに気がついた。結局僕は、「消費」ということに引っかかっている。「消費の対象としての恋愛」については最近で論じられることも多いが、安野モヨコにおいては「女性の生き方」そのものの「消費」が俎上に上がっているということに斉藤さんの論考を読んで気がついた。それが故に彼女の作品が人気が高いというのもまったくもって納得出来る話なのであるが、そういった状況では僕の「非モテ」は必然であろう。しかもそのような状況はしばらくの間全く変わりそうにない。
「働きマン」がおもしろいと感じる人が周囲に多いです。
それは、働く時の姿が、自分たちの姿に重なるからで、
シンパシーを感じるようなことを、
とある友人が話していたのを記憶しています。
その友人は、お見合いで結婚を目指し、
ずいぶんと回数を重ねたけれども、
結局、以前つきあっていた年上のバツイチ彼と、再びつきあって、
結婚するようです。
現実の女性は、時に、
仕事にも恋愛にも疲れてしまって、
行き詰ってしまったときに、
なぜか逆説的に「結婚」がすべてを解決するのではないかと、
思ってしまうのか、見合いに走るようです。
そんなふうにしたって、リセットにもなりゃしないのに…とワタシは思うのですが。
そうやってリセットを考えたり、いろんな恋愛や人生を試してみたり、
女性のバイタリティってすごいなあと、思います。
じぶといですよ、オンナは。
by yokonozo (2007-11-13 11:00)
ありがとう御座います。
「女性のバイタリティ」という名の「アマエ」が嫌なのであります。
by 黒木 (2007-11-13 11:48)
むしろ「甘え」たいのに素直に甘えられない姿が、
共感をもたれる部分もあると思いますよ。
そういう人たちにとっては、
あからさまに計算高く「結婚してラクしたい」と言ってしまえる人のほうが、
勇気あるなあと、うらやましく見えるのかもしれません。
しかし、少なくとも、
うらやましいと思わないオンナたちもワタシの周囲にいます。
女性のしぶとさってのに、ワタシはげんなりするほうなので、
バイタリティを感じると、素直に「すげえや」と思ってしまいます。
by yokonozo (2007-11-13 12:25)
最初から「甘え」の感情ありきというところが気に喰わないのです。
「結婚してラクしたい」は必ずしも計算高い行為とは思えません。
経済的に完全に依存してしまうことはリスクが大きいですよ。
「誰に喰わしていると思っているんだ」、の一言は予想以上に同居者の精神を蝕みます。
そんな傲慢が当たり前だと思っている輩は論外として、普段はそんなこと思っていない人だって、何かの弾みに売り言葉に買い言葉でつい口にしてしまうことだってありますね。
それで、相手がビビって、一回そのわがままを通してしまうとあとはなし崩しになりかねません。
男がみんな聖人君子だったら良いのですが、そうでない人の方が多いので。
でも、聖人君子じゃなくったって、周りとの対話を通して学んでいくことだって出来るし、むしろそういうことを学ぶ権利だってあるのです。
それを、わがままが通ってしまうことで失ってしまう。
男の側は威張れて気持ちがよいかも知れませんが、そこで相手との対話の可能性を潰してしまったということに気がつかないのはあまりに哀れです。
という意味で、女性の「アマエ」の被害者は女性でもあるし、男性でもある、と思います。
by 黒木 (2007-11-13 16:06)
xml_xslさん、
ありがとう御座いました
by 黒木 (2007-11-18 17:56)