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そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ ブログトップ
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エクスの風景 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

http://watashinofrance.canalblog.com/albums/cuisine_francaise_________/index.html

友人がエクスの写真をアップ。

すごい懐かしい、特に日差しが。今、良い季節なんだよな。

苺も今が旬。何故かフランスの大地の味がする。オリーヴもおいしそう。


パリの月蝕 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

盟友ジャン=フィリップのうちにて


糞尿的巴里 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

パリに行ってきました。


パリ市の清掃は市職員の役目。ということで、ゴミをその辺に捨てる輩が後を絶ちませぬ。

ゴミどころか犬の糞も...


あぁ、人々に踏まれ...


しっかり踏み固められ。あ、フランスは屋内で靴脱ぎませんから。


当然、犬はおしっこもします。


これはちょっと犬にしては量が多いな。



微妙に角だし、どんどん続くし


うーん、この量だと......しかもとても隅っこだし



◯路は続くよぉ、ど〜こま〜で〜も〜〜♫♫


南仏行きのTGVが出るGare de Lyon駅。こんな痕跡があちこちに


◯路は続くよぉ、ど〜こま〜で〜も〜〜♫♫ パートII

参考までに:http://blog.so-net.ne.jp/kuroki/2006-02-07







日仏若者事情 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

 今更ながらにかつてフランスワーズ・ドゥエ氏に貰ったプリントを訳してみる。

*我々の若年層は[...]躾が悪く、権威を馬鹿にし先人に対してまったく敬意の念を表さない。我々の今日の子供は[...]老人が部屋に入ってくるとき立ち上がらず、親に口答えをし、働かないでおしゃべりばかりしている。彼らは単なる不良に過ぎないのだ。(ソクラテス, 紀元前470-399)

*今日の若年層が将来指揮系統を担うようになったとしたら、私はこの国の未来に何の希望も見出せなくなる。何故なら、今の若年層は耐え難く、謙虚さがなく、単に劣悪なだけなのだ。(ヘシオドス, 紀元前720年)

*我々の世界は危機的な状態に達している。子供達はもはや親の言うことを聞かない。この世の終わりはそう遠いことではないだろう。(古代エジプトの司祭, 紀元前2000年)

*今の若年層は心の底から腐っている。若者達は有害で怠け者である。彼らはついぞかつての若者達のようになることはないだろう。今日の若者達は我々の文化を維持しておくことが出来なくなるだろう。(無名氏, バビロニア遺跡の陶器に書かれていた, 3000年以上前)

 さて、ここからが本題。

 先日、我が反ネオリベ活動の盟友ジャン=フィリップが日本に来ていた。そこでNHKのフランス語講座でもお馴染みのパトリス・ルロア氏に引き会わせる。フランスのミュージシャンを日本に呼ぶ企みのためである。自己紹介をしてもらって、パトリスの経歴を改めて知る。何やらかつては駅長さんをしていたらしい。そして専門はフランス語教育ではなく、心理学なのだそうだ。

 そのパトリス、慶應大学で多くの学生と対話を通して、現代の若者の多くはかつての世代と大きな精神的断絶があり一種の危機的状況が出現しつつあることを感じている、と言う。兄や夫を殺害し切り刻むといった事件もそういう精神的退廃が水脈となっているのではないか、と。

 昔は良い大学に入れれば、良い会社に就職ができ、良い暮らしができると、信じられていた。対して、今の若者は、いくら良い大学に入った所で人生はこれっぽちも保証などされてはおらず、で、かつての若者ように頑張ることに意味を見出せないまま無為の日々を送っているものが多いのだ、と。

 同席していた一人のフランス人が「フランスと同じだ。フランスで起こった現象がとうとう日本にまでやって来たんだ」と言う。しかし日本の現在の状況はフランスと同じなのだろうか?僕は違うと思う。フランスでも失業問題は根深いが、日本の若者ほど精神的に追い込まれていないように思うのだ。

 若者の精神状況について、僕と同じ教育系フリーターの同僚が面白いことを言っていた。これからの日本社会はどんなに頑張ったって年収300万が関の山という状況になりつつある。若者の多くは既にそのことに気付いていて「もうそんなにしゃかりきに頑張りたくないよ」と思っているのに、親の世代は分かってはおらず、まだ頑張れば年収700万も決して夢ではないと思っている。で、「頑張れ!」と叱咤激励する。更に、頑張らない若者を見て不満に思い「怠け者」だの「生気がない」だの非難する。そんな事態にますます若者はうんざりを重ねている、と。

 「若いうちの苦労はやがて報われる」「頑張っていればそのうち良いことがある」そんな右肩上がりの展望はもはや信じられてはいない、ということだ。

 例えば、文系の若手研究者の世界にもこのニヒリニズムは吹き荒れている。就職難の暗いトンネルの出口がさっぱり見えないのだ。

 僕は日本の大学のフランス文学科で学んだ。大学院の博士課程まで終え、フランスで博士号を取得し、その後母校で非常勤講師、つまりパート教員として第2外国語としてフランス語を教えている。この部署には私の先輩に当るフランス語教員が20人くらいいて、彼らは何とかフランス語を教えることによって糊口を凌いでいる。これらのうち、フランスで博士号を取得した人間は僕を含めて2人。もう片方の博士であるその先輩は10年くらい前に博士号をしたが、まだ定職が見つからない。僕は若手なので定職はおろか、コマを週に1つしか貰えていない。で、当然、フランス語だけでは喰えていない。

 現在、正規雇用の大学のフランス語教員の公募には40から50人くらいの応募があるそうだ。もちろん条件として博士号取得者というのがあるので、そのほとんどすべてが博士だと思って良い。現在フランス語教員の公募は年間3、4人である上に、次々と新しい博士がフランスから帰ってくることを考えれば、圧倒的に供給が受容を上回っているのがわかる。ということで、博士であろうと就職出来る確率はほとんど宝くじなのだ。であるからして、博士であっても一生職に就けない可能性の方が大きいのだし、私の先輩達のような博士号を持っていない多くの大学教員は一生パート労働が確定していると言って良い。

 更に、パート労働ということは定年を迎えれば、そのほとんどが生活保護受給者となることが予測される。つまり日本の大学院というのは失業者や非正規雇用者の養成所であり、生活保護受給者予備軍生産工場なのである。

 また、友人に30代前半で論文博士をとり、30代後半には二冊目の単著をものにし、論文数は軽く30を超えるという人がいるが、彼も週2コマの貧乏非常勤講師である。彼は指導教官に「君くらい業績があるとやっかまれて、逆に採用されない可能性が高い」と言われたそうだ。それが本当ならば「努力すればするほど報われない」という恐ろしい世界が出現することになる。

 そんな彼が偉いのは、にもかかわらず論文を量産し続けているところだ。かくいう僕も彼から共著の計画を持ちかけられている。何故だか努力をやめていないわけだが、我々の感覚から言えば決して「報われることを期待して努力している」とは言い難い。努力するしかやることがないから仕方なく努力している感じだ。つまり「努力のための努力」とでも言えようか。僕らはもうとっくに希望なんて信じてはいないのである。時に「若いうちの苦労は報われる」と言って励ましてくれる人もいるのだが、この類の美辞麗句を聞くと何故か何とも言えない寂しさがこみ上げてくる。

 正直、シーシュポスのような行為を続けるのは辛いし、誰にも出来ることではないように思う。自分もいつ脱落するか分かったものではない。

 フランスでも高学歴者の就職難は社会問題となっているそうである。で、彼の地の高学歴者はアイルランドやドイツなど、同じEUの近隣諸国に転戦をしていると言う。また、ドイツの高学歴者も国内で仕事がないので大量にフランスに流入していると言う。僕も中国や韓国できちんとしたポストを貰えるなら喜んで行くが、アジアの今の政治状況ではそれが実現可能とは思われない。

 もしかすれば僕もどこかで運良く仕事に就けるかも知れない。しかし一人片付いた所で構造的な問題は何ら解決されない。日本の社会は文系の基礎研究を見捨てる方向で動いているのだ。しかし高学歴者をこのまま大量に放置しておくのはどうにももったいない気がしてならない。上手い有効活用はないものなのだろうか?

 ただ、日本の大学における文系学部の凋落は始まったばかりで、誰にも将来は予測出来ない。


日仏貧困事情 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

フランス人反ネオリベ活動家の盟友、ジャン=フィリップの奥さんの従兄弟という人が、年末、彼女を連れて日本に来ていた。で、年越しライヴに行ってみたいからお勧めのライブを教えて欲しい、と言ってくる。フランスでも、大晦日から元旦にかけて友人達と騒ぐ習慣があるのだ。というわけで、急遽、大晦日に会って、情報を伝え、一緒に夕飯を食べてきた。

初めて日本に来るフランス人が一様に言うのは「日本は素晴らしい!」という台詞だ。店やレストランに入って店員に何かを頼むとすぐに応えてくれるので、彼らは感激する。フランスでは何回も頼んでやっとという感じだし、日本に比べ店員の態度が妙にでかいのである。フランスに留学する日本人がまずショックを受けるのがここだ。確かに、日本のサーヴィスの充実ぶりには目を見張るものがある。

ところで「サーヴィス」と行ったとき、二つの意味があると思う。一つ目は「店員が客に対して行うサーヴィス」、二つ目は「行政が国民に対して提供するサーヴィス」で、医療、教育、通信、下水道、交通、ガス・電気、治安維持などがあり、これを「公共サーヴィス」と呼ぶ。

日本はフランスに比べて一つ目が充実しているが、公共サーヴィスは貧弱である。NTT、国鉄、郵政などの民営化は、公共サーヴィスに民間企業の「店員が客に対して行うサーヴィス」を導入しようという試みであり、特に利用者の多い都市部ではサーヴィスが充実する傾向があるのは確かだろう。しかし過疎部のおいても安定したサーヴィスを提供する、といった公共サーヴィス本来の責務を犠牲にしてしまうことにもなりかねない。対してフランスでは至る所で公共サーヴィスは充実しているが、接客サーヴィスの欠落は日本人とっての常識の範囲を超えていると言っても過言ではない。

「日本は失業率も低いし、良い国だね」というから、「実際の失業率はもっと高いよ」と反論してみる、「日本では正規雇用が減って、アルバイトで食いつないでいる若年層が増え社会問題になっている」と。すると「フランスの失業者にはアルバイトもないんだよ」と答えてくるので、「それでもフランスは社会保障が充実しているだろ。日本では生活保護も取りにくい上に、法律で定められた最低賃金が低いのでフルタイムで働いても生活保護以下の収入しかえられない貧困層が出現しているんだよ。それでも仕事がないとホームレスになるしかないね。国家が保障してくれないから」と言ってみる。「確かにフランスは社会保障が充実しているけれど」と彼らは続ける、「70年代に失業してそれからずっと無職、という人を知っているんだけど、問題は彼の家庭には働いている人が一人もいないってことなんだよ。親は働いていないことに関する自責の念があるんだけど、彼の子供は産まれてこのかた家族の中で働いている人を一人も見ていないから、自分が大人になって働かなければいけないとは全く思わない。で、失業者が再生産される。フランスは一部の人が無茶苦茶働いて、多くの人がそれによりかかっている社会だ。」

確かに、フランスで店や郵便局に入って何か頼んでも、「出来るだけ楽に仕事を片付けたい」という雰囲気を醸し出している人が割合多くて、最初の頃は結構イライラさせられる。ただ、僕のような貧困層にとっては、暮らしやすいともいえる。それは充実した公共サーヴィスのおかげで、貧乏に甘んじれば結構愉快に暮らしていけるからである。対して、日本での貧困層は命を懸け金に追い立てられている感じがある。「生きていたくないんだったら、死んでも良いよ」と囁かれている気がするのだ。

僕にとっては、フランスの「仕事がなくても家庭を作って子供が持てる社会」というのは大変魅力的に見える。もしそれが許されるのなら、どんどん本を読んでどんどん論文が書けるのに、と思う。また、フランスでは大学まで含めて公教育にはほとんど金がかからないので、子供を進学させるのに学費の心配をしなくても良い。日本では塾や私立学校のおかげで教育の選択肢が充実しているという長所はあるが、学費が圧倒的に高いという短所がある。

僕が過度な民営化に懐疑的なのは、長らく塾で働いてきた経験によるのだと思う。塾はまことしやかな宣伝文句を掲げ親や生徒へのサーヴィスに力を注ぐが、施設も規模も所詮学校には敵わない。それは丁度、僕のような弱小私立出身の人間が国立大学の人に張り合うためには多大なる苦労を強いられるのと基本的には同じだろう。

参考までに:
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070106k0000m040101000c.html


ブルターニュ現代史 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

友人の経済博士で左翼を自認して憚らないジャン=フィリップがまたしても日本に来ていた。何やら日本人の偉い経済学者と一緒にする仕事があるのだと言っていた。

さて、知り合いのとある大学生が、ブルターニュへの留学を考えているとかで、是非その人を紹介しろ、と脅すので、3人で一緒に夕飯を食べる場を設定した。ジャン=フィリップはブルターニュの出身なのだ。

その学生が「ブルターニュの民族主義=ナショナリズムがフランスのナショナリズムに与えた影響について興味がある」と言うのを聞いて、ジャン=フィリップは「ブルターニュの民族主義と言った場合、それはあくまでも19世紀末から20世紀初頭に始まった比較的新しい現象であることに留意しなければならない。」と言葉を継ぐ。早速、ブルターニュ現代史のちょっとした講義になってしまった感がある。

まず、19世紀末から20世紀初頭にかけての黎明期は、ロマン主義あるいはポストロマン主義の影響のが大きいのだ、と言う。貧しいが素朴なブルトン人たちの生活が、当時支配的なっていった科学技術に基づく産業文明の対極として、持ち上げられるようになった、ということだ。

その後、第二次世界大戦の終了時にかけて、不幸な時代が訪れる。ドイツナチス政権がフランスの中央政権に対抗させる為に、ブルターニュの独立を支援し、その結果、ブルターニュ文化運動は対ナチス協力の同義語として流通することになったというのだ。「今でも、僕たちブルトン人はその負の遺産を背負わされていて、例えばブルトンの血は全く入っておらずただその文化に魅了されブルトン語を学びやがてはその伝道者として活動を続けるMarthe Vassalloのようなミュージシャンでさえ被害を被っているんだ。」とジャン=フィリップは言う。「だから僕らの上の世代は、自責の感情を抱え続け、ブルトン人であることを恥じているような感じがある。」

「でもね。」とジャン=フィリップは続ける。70年代くらいから、過去のことは過去としてブルターニュ文化を再評価しても良いじゃないか、という運動が起こるのだ。例えば、日本でも有名なAlan Stivellいうミュージシャンの活動もその先駆けの一つなのだと言う。僕とジャン=フィリップはほぼ同い年、まさにその70年代に少年時代を過ごした世代だ。

そして今はと言えば、ブルターニュ文化の豊かさは多くのフランス人が口にするようになっているし、日本でも憧れる人も多いだろう。

学生の「そういったブルターニュの歴史に関しては、何か教科書みたいなものがあって、それを使って学んだんですか?」という問に、ジャン=フィリップは応えてこう言う、「いや、教科書なんてものはない。今話したことは僕が個人的に理解しているブルターニュの歴史だ。」、と。「まずはおばあさんから聞いた話が基になっている。ただ彼女は対ナチス協力の暗い思い出の所為で、あまりそれをおおっぴらにはしゃべりたがらないんだけどね。そしてその後、学校に行くようになって、友人たちと議論を重ね、僕は僕なりにブルーターニュの歴史を把握してきたんだ。」

更に、学生の「ブルターニュの独立運動というのは今でもあるんですか?」という問には、「まったくない。70年代から今に至る活動はひたすらに文化に関するものだ。僕たちにはまったく独立の意思はない。フランスで独立運動やっているのは、バスクやコルシカだよ。」と答えてくれた。

フランス人、フランス史と言っても一様ではない、ということに今更ながらに気付かされる。ジャン=フィリップは自らが受け継いでいる文化についてとても誇り高き人である。政治的にも左だし、僕とは芸術的な趣味もあうので、気に入ってつき合っている。


南仏差別事情 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

 EU統合が進む中、ヨーロッパの車はEUマークの入ったナンバープレートをつけて走っている。ただし、日本のナンバープレートにも「品川ナンバー」とか「大宮ナンバー」とかあるように、EUのナンバープレートにも、アルファベットが記されていて、どこの国から来た車だかすぐ分かる。例えば、フランスだとF、ドイツだとD、イタリアだとI、イギリスだとGBなどである。
 我が悪友、チエリはポルトガル人なので彼の車のナンバープレートには当然「P」とある。
 ある日のこと、遊ぼうぜ、という約束をしていた。「昼間は出かけているから夜の8時くらいに電話ちょうだい」と言われていた。で、その時刻にかけてみると、沈んだ声で「今、警察にいるんだ。詳しい事情は明日話すけど、今日は悪いがキャンセルだ。」と言うではないか。こっちはすでに遊ぶ気満々だったので、別の友人を強引に誘って飲みにくり出したことは言うまでもない。
 翌日、チエリに会ってみると、やはり沈んだ顔で、眼のところに青タンを作っている。なんでも、家の近くでうろうろ路駐場所(有料)を探していたのだと言う。そして運良く見つかった。で、ハザードランプをつけて、バックで入れようとしたところ、すぐ後ろにいた車が前向きにするっと入ってしまった!流石にチエリも頭にきて、車を降り、「すいませんが、ここは僕が先に見つけたんですよ!」と抗議した、と言う。と、その途端、「外国人が偉そうなこと言ってんじゃねぇ!!」と、いきなり殴られたのだそうだ。
 そういえば、僕らは、移民も多いがその分外国人差別も激しい街マルセイユのすぐ隣、南仏の小さくて奇麗な街エクスに住んでいたのだった。


南仏ルーマニア事情2 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

 我が愛すべき悪友、ポルトガル人のチエリのうちでご飯を食べていた時のことである。リオネルというフランス人が言うのだ、「スペイン語やイタリア語だったら1ヶ月、ポルトガル語だったら2ヶ月集中して勉強すれば話せるようになるよ」、と。フランス語を含め、ロマンス諸語と呼ばれるこれらの言葉は皆ラテン語から派生しているのだから、彼らにとって習得しやすいというのも頷ける話である。対して、実はルーマニア語もロマンス諸語に含まれるという事実は、意外に日本人にとって盲点になっているかのかも知れない。
 ある日、大学でちょっとした食事会があって、カーラという別のポルトガル人と話していた時のこと、何故だかルーマニアの話になった。私と違って社交的で顔の広い彼女は、ルーマニア人の同僚とも友達だと言う。で、その彼というのが凄まじく優秀なのだそうだ。
 ある日のこと、ある本を探していた彼に、ちょうどそれを持っていた彼女は心良く貸してあげたのだと言う。数日後、「とても面白かったよ、ありがとう」と言って、彼がその本を返してきた時、フランス語もスペイン語もポルトガル語も自由に操るカーラとしては、ちょっと対抗意識が芽生えたらしく、「ちょっとあなた、この本、ポルトガル語で書かれているのよ、内容、分かったの?」と尋ねたのだそうだ。すると「だいたいならね」と平然と言ってのける。彼女は少し悔しいので「じゃぁ、このページには何が書いてあるの?」と尋問を開始、ところが彼はどのページに関しても、すらすらと答えるのだと言う。正直感心し、「あなた、すごいわね、何で?」と聞いたら、「だって僕ルーマニア人だもん。」と返ってきたそうだ。カーラによると、彼はロマンス諸語であれば、どれも雑作なく読みこなせるのだと言う。
 早速面白くなって、是非紹介しろと言うと、「滞在許可証が切れて、もう国に帰っちゃった。」と言うではないか。そういえば、ルーマニアはまだEUに加盟してなかったことを思い出す。一方、彼女はしっかりフランスに居着くつもりらしいので、「良いね」と言うと、「だって、ポルトガルはEUに加盟しているもの」と答える。そうか、彼女は滞在許可証の更新とかしなくて良いんだ!と思うと正直うらやましくなった。


南仏ルーマニア事情 [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

 エクスに住んでいた時に知り合った友人で、ルーマニア系のフランス人がいる。ボクダンという。時々、一緒にギターを弾いたりして遊んだ。そのうち小さなバーでコンサートでもやろうと言っていたのだが、僕が日本に帰ってきてしまったので、その約束は果たせずに終わってしまった。「プロになるつもりはないよ」とは言っていたが、神経が細やかでちょっと危うそうなところが芸術家気質を感じさせ、僕は割合気に入ってつき合っていた。 
 ある日、医療の話になった。現代人は抗生物質を使い過ぎで免疫機能が落ちているよね、という話になったのだ。何でそんな話になったかは分からない。ボクダンが続けて言う、「僕のパパが小さい頃は、ってことはルーマニアでのことだけど、雑菌に耐性をつけるために牛の生き血を飲まされたそうだよ。」それを聞いて僕は、そういう文化もあるのだなぁ、と感心した記憶がある。
 日本に帰ってきてから、そんな話を飲みの席でしたことがある。その時、フランス語教師の同僚で先輩でもある白石さんが言ったのだ。「さすがドラキュラの国、ルーマニア!やっぱり生き血が好きなんですね!」
 じゃぁルーマニア人はみんなニンニクが嫌いなんですか、って聞こうと思ったがやめておいた。


ジダンの名誉の為に [そういえば僕は南仏に住んでいたんだっけ]

ジダンがワールドカップの後始めて、Canal +というテレビ局でインタヴューに応じたことは広く知られていることと思う。日本の新聞には、ジダンがこのインタヴューに答えて「何よりもまず、自分は男だ。だから立ち向かった」と発言した、と報道されている。

どうも気になって、ネット上でこのインタヴューの映像を見て確かめてみた。
http://www.zidane.fr/homepage.html

聞いている分にはそんなことは言っていないと思った。更に、フランスの新聞のサイトを調べてみた。
http://www.rfi.fr/actufr/articles/079/article_45006.asp

すると、該当箇所は「 Je suis un homme avant tout. Alors j’ai réagi.」である。

これは、「僕だって人間だよ。だからつい反応しちゃったんだ」と訳すのはないだろうか。

パリ在住の友人にも確かめてみた。すると、以下の回答が返って来た。

>あれは「ぼくは人間だ(神ではない)」だと思います。その方
>向で記者やコメンテーターたちのコメントが出ていました。
>「だから立ち向かった」なんていったっけ?記憶にないなあ。

訳とは恐ろしいものだと思う。訳次第でまったくの別人である。


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